ヤフー株式会社 代表取締役社長

宮坂 学

MANABU MIYASAKA

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天才たちに呼ばれ、「次の社長はキミだから」。

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

それで話は飛びますが、社長になったのはいつでしたっけ?

宮坂様
宮坂

2012年ですね。

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

社長の指名をうけたときの経緯は・・・?

宮坂様
宮坂

最終的には取締役会で決まります。取締役会で決まり、当時の社長だった井上(雅博)さんに呼ばれて、やりなさいと。孫さんにも別の機会に呼ばれました。

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

事前に打診とかはなかったんですか?

宮坂様
宮坂

もういきなり呼ばれて、「お前やれよ」、という感じでした。もちろん命令ではなく打診ですから、絶対に嫌だと思えば断れるわけです。私は、一晩だけ考えさせてくださいと答えました。

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

その時の感想は?

宮坂様
宮坂

正直、びっくりですよね。

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

それで一晩考えた上で、「やります」、と。

宮坂様
宮坂

そうですね。

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

受けたのは、社長になって挑戦してみたいという気持ちからですか?

宮坂様
宮坂

挑戦はもちろんですが、恩返しの気持ちが大きかったと言えますね。当時、たしかにヤフー社内には停滞感がありました。ヤフーは自分を救ってくれた会社であり、まともにご飯を食べられるようにしてくれた恩人です。社長になって会社を大きくすることは無理でも、ちょっと停滞している現状を平常運転に戻すことは出来ると思ったんですよ。

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

成長だけが役割ではないと。

宮坂様
宮坂

社員が元気をなくしているように感じたていたので、「元気出して行こうぜ!」と引っ張るくらいなら自分でもやれると思いました。誰も見たことのない業績をたたき出すとか、びっくりするようなプロダクトを生み出すというのは難しいかもしれない。でも。目の前にある雰囲気を元気だった頃のヤフーに戻すのであれば、私にもできると思ったんですね。当時も会社は大好きでしたし、自分より好きな人はいないだろうと思っていたくらいです。だからその思いを活かそうと考えました。

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ユニナレ対談